☆ 樋口範子のモノローグ(2021年版) ☆

更新日: 2021年4月1日  
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範子の著作紹介

2020年版 <=

2021年4月
   

   事務室のケンちゃん

 今から40年前、わたしは、山梨県で保母資格を取得した直後、山中湖畔にあった児童養護施設に就職した。東京都の児童相談所から措置される、就学前の3歳から6歳までの幼児約40名が、その施設で生活していた。カトリックのシスター10数人と住み込みの保母さん8名、調理場、洗濯場のおばさん、ボイラーマンとで、朝晩の居室の世話と、日中の幼稚園の任務を分担していた。

 通い保母のわたしは、事務、施設内の掃除、児童の通院の付き添い、児童の面会準備など、お遊戯やお絵かき以外のパート保育にかかわっていた。

 事務室のシスターがあるとき、ケンちゃん2歳児を事務机のはじに、ちょこんと座らせた。本来なら、2歳児は乳児院の措置範疇だったが、ケンちゃんには4歳と5歳の兄がそこに入所しているため、兄弟一緒の方がいいという児童相談所の計らいで、特別に入所していた。

 ケンちゃんは、なぜかじっとすわっている子どもだった。まるで、ぬいぐるみみたいに、数時間でもすわりつづけて、にこにこしていた。事務所に立ち寄るだれもが、その例外的な特別扱いを是認していた。

別のシスターがふと、「贔屓(ひいき)をしないと、子どもは育たない」と、つぶやいたのを、わたしは何度か耳にしていた。保母試験や保母講座では、おそらく「贔屓や特別扱いをしましょう」とは、ぜったいに教えない。家庭内の子どもたちにも、分け隔てなく、同じように愛情を注ぐことが、当然のように良しとされていた。平等には、悪平等も不平等も含まれるということを無視して、ただ大人本位の姿勢が蔓延していた。たしかに、贔屓をうとむ理由の一部に、虐待やハラスメントを回避することが、あったかもしれない。

しかし、贔屓をしないことと、平等と、分け隔てをしないことが、すべて一致するものではないとしても、子ども不在の、大人の同調をねらったものであることは、うすうすわかる。

だれも見ていない食堂の片隅で、「君だけにあげるね」と、楊枝に刺した揚げたてのイモ天を一個でももらった子は、どんなに嬉しく、そしてどんなに満たされた気もちになるだろう。

兄弟が多い場合も、その中のひとりを、ある時間だけ特別扱いすることは、贔屓でも何でもない、その子は自信をつけるかもしれない。自分だけを大事に思ってくれる人が、この世にひとりでもいる、その暖かさだけで生きていける。

やがてケンちゃんは、事務室を卒業して、大勢の保育室に入っていったが、ときおり事務室に立ち寄っては、わたしたちに、とびっきりの笑顔を見せるようになった。なぜか言葉がおそかったが、明らかに事務室は自分の居場所だというそぶりを見せた。そして兄たちの退所にともなって、ケンちゃんも退所していった後、ナオミちゃんという女の子が事務室に来たが、当然じっとすわっていなかった。机の引き出しをいたずらしたり、コピー機を壊したりで、わずか二日で、シスターはお手上げ状態になった。

しかし、ナオミちゃんには、他の保母たちも、ちゃんと特別に目をかけてくれるようになった。ナオミちゃんが、滅多に面会に来ない実父を「大きらい」だと泣き叫んだ時、ある保母には、それが「大すき」の裏返しだとすぐにわかって、ナオミちゃんを抱きしめた。

決して方法論ではない現場の呼吸がある。論考から外れたところにあるこうした例外的な呼吸を、どうやって伝えていくのか? 世の中が、数値や規則や制約にとらわれていけばいくほど、そうした曖昧さがうとまれるのを、見過ごせなくなった。

わたしはもう、40代になったであろうケンちゃんに再会したいとか、どうしているだろうかとは思わない。大部分のシスターが他界して、あの事務室も建て替えでなくなった。

ただ、今もなお、規則を盾に例外を認めようとしない大人たちや、その盾にはじかれて、事務室に入れてもらえない、たった一個のイモ天をもらえない、大多数の子どもたちを思う。


2021年3月
   

 コロナ禍二年目の春  

 二年前から、わたしは、義兄の車を譲り受けて乗っている。燃費が良く、小回りもきいて、とても重宝している。ところが、真冬に乗って、あることに気づいた。シートが〈冷たい〉。車内暖房はあるが、シート暖房がないので、体が温まらない。つい身震いするほど、体が冷えた。

ここ数年、家族で乗っている車には、寒冷地用のシート暖房がついていて、どの席もぽかぽか温かいことに、体の細胞がすっかり慣れてしまっていた。

科学的には、脳が先に感じるのか? 体が先に感じるのか? に、答えはあるのだろうが、自分の場合、もし脳が先に感知していると言われても、脳も体も双方が、納得しないだろう。どちらにしても、まず細胞が〈何か、いつもとちがう〉と感じるんだよと言われれば、素直に納得する。感知に言葉があるかどうかは別として、〈冷たい〉という言葉は、細胞が感知した後から、のそっとついてくる。

 20年くらい前は、車のシートは冷たくて当たり前で、たいして苦にもならなかったが、一旦シートの温かさを体験した人間は、無意識のうちに、こうも贅沢になってしまうものかと、自分ながら愕然とした。

「昭和の暮らしにもどろう」、「昔の不便さにもどろう」などと、いとも簡単に言うが、それは案外スローガン倒れで、いたく困難な実践だと、身をもって知った。

 昭和及びそれ以前の暮らしは、そのほとんどが人々の頭の中にあり、啓蒙だけでは、なかなか昭和にもどれない。

 95歳の母は、戦争も戦後の深刻な食糧事情も越えてきたのに、今にいたっては、ティシュペーパーと、蛇口から出るお湯は、無限にあるものだと思い込んでいる。

 片や、娘であるわたしは、蛇口から出るお湯には、戸惑いつづけて久しい。台所で食器を洗う自分の両手も、凍るような水ではもう、何も洗えなくなった。〈冷たい〉。どうしようか。

本来の〈不便さ〉や〈冷たさ〉に悲鳴を上げるのなら、あえてその〈不便さ〉や〈冷たさ〉に慣れるしかない。そう思って、少しずつ体を慣らして、車の冷たいシートにも長時間座ってみた。だんだん慣れて、違和感が少なくなった。実におかしなことだが、かつて体感して、その後一旦忘れてしまった感覚に、もう一度慣れてもどることを、どういう動詞で表せばいいのか? 取りもどす? さかのぼる? 生き直す? 巻きもどす? やり直す? 暮らし直す? 撚りもどす?  

幸か不幸か春が近づき、だんだん体が緩む中、なお一層、動詞探しに活を入れるのは、来冬のためだ。簡単に日和ったり、軟弱にならないように、これ以上贅沢にならないように、今から細胞たちに呼びかけておくためだ。


2021年2月
   

孤独について

 孤立も孤独も、どちらにも、ひとりぼっちを意味する孤という漢字がつくが、むしろ大勢でいるときに、感じるものだと思う。孤立は、社会のためにもできるだけ避けたいが、少なくとも孤独というのは、そう捨てたものではないことが、この数か月間でわかった。

 孤独でいるということは、うら寂しいとか、仲間外れの孤立感とは異なる、実は生きるうえでの大前提だと思えるようになった。安易な一体感や、上辺だけの同情や、形だけの寄り添いに惑わされなくなった今、ふと53数年前に体験したイスラエルのキブツでの、人と人が、ある適当な距離をもって、合理的に生活する底力を思い出す。

ほぼ毎日、約500人が集団で食事をして、働いて、そして、当時は私有財産もなかった暮らしの中で、実は彼らは四六時中いっしょにいることに、そんなに大きな意義は感じていなかった。創始者たちには、思想的な理想があったかもしれないが、その後に加わった大部分のメンバーには、最初からその出自や移民経過、経済的理由にそれぞれ個人的な事情があり、また国にも国境警備という必須課題があった。おそらく共同体理念や協同体機構に賛同してキブツに暮らすことを志した人は、そう多くはなかったと思う。したがって、そこで暮らしている人の多くは、自分の昔話はほとんど語らず、他人の過去にも深入りをせず、他人に自分の考えや持論を無理強いはせず、人はみな、同じ考えや同じ気持ちであるはずがないという大前提を尊び、孤独を自覚していた。キブツの第一世代には、寡黙ながらも、働き者で心優しく、困っている人(たとえそれが遠いアフリカでも)にさりげなく手を差し伸べる魅力的な人が多かった。

 しかし皮肉なことに、次の第二世代のほとんどは、自分たちの権利や欲得、持論の主張に多くの時間を費やし、テレビ、冷蔵庫、電話という文明の利器がもたらす効率性や利便性を優先して、結局キブツの約50年間の大実験は終わった。今は美しい景観の村として残り、そこに暮らす村人たちは、確かに孤立はしていないが、一般の世間同様、良質な孤独を持ち得る人が減少した。

 以来、わたしの深層によどんでいた共同体は、須賀敦子著『コルシア書店の仲間たち』に登場する1950年代から60年代にかけての一書店をめぐる日常によって、再び目の前に現れた。パルチザンだった者、カトリック司祭、信者、アフリカからの移民、学生、作家、研究者、翻訳家、なんとユダヤ教のラビまでが、熱く吹きだまっていたというイタリア・ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店。そこでは、有機的な共同体をめざそうとする人々の約20年間にわたる人間模様が、1970年代に教会当局によって、ついに立ち退きを命ぜられるまで、大河のようにうねっては鎮まり、滝のようにほとばしっては霧となる、激しい蛇行を描いていた。

下記は、この名著の最終部分である。

コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼ同じだったと思う。それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極において生きなければならない孤独と隣り合わせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しない限り、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。

 若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」

              須賀敦子著『コルシア書店の仲間たち』より

 須賀敦子がこの最終部分を書いたのは、今から30年以上も前だが、その時代の荒野がいかに愛おしいものであるかを、わたしたちはこのコロナ禍で身に染みている。孤独を確立しないうちに、孤立の波が襲ってきた2021年の現実を、荒野でなくて何と呼んだらいいのか?


2021年1月
   

手元に本のある至福

 図らずもコロナ禍の最中に、友人の小松原宏子さんが発した「本は生きる力」という一言がずっとわたしを支えている。彼女は三年前の年末、埼玉県内で行われた読書会の忘年会で、色だけが同じ黒で、サイズも長さもデザインも全く異なるわたしのコートを間違って着て帰り、都内の自宅に着くまで気がつかなかったという大物である。それまでは、会えば挨拶するだけの間柄だったが、あれ以来、何かが互いの間を行き交い、今もこうして本を間につながっている気がする。

わたしは毎年150冊くらい読むのだが、今年は同じ本を何度もしつこく読むことが多く、冊数はずっと少なかった。でも、読書によって得られる満足感は、冊数に比例しないことがよくわかった。

 孤立はさびしいが、確立した孤独はいとおしい。つまらない社交辞令や枕詞を、否が応でも省かざるを得なかったこの一年間は、それによって得たかけがえのない孤独を味わう一年間でもあった。命と人生とのちがい、時(とき)と時間のちがいを、観念ではなく身体で感じることもできた時、手元に本のある至福をどう表していいのだろうか?

著者と訳者、版元に感謝を込めて、わたしの2020年ベストスリーを列記したい。

 

小説 

1・『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ 著 友廣純 訳 早川書房

  2・『キオスク』ローベルト・ゼーターラー 著 酒寄進一 訳     東宣出版

  3・『洟をたらした神』吉野せい 著                中央公論社

 

随筆・対談集

  1・『霧の彼方 須賀敦子』   若松英輔 著             集英社

  2・『ほの暗い永久から出でて』 上橋菜穂子 津田篤太郎 往復書簡集  文芸春秋

  3・『知らなかったぼくらの戦争』 アーサー・ビナード 編・著     小学館

 

数年前から、狭い家の中なのに、本の置き忘れがひんぱんに起こるようになり、本を探す時間が増えた。ある時は電話機の脇に、ある時は食器棚や冷蔵庫の中にそれを発見して、そのたびに読書に移行するエネルギーまで削がれるようになった。探している間に鍋が焦げたりもする。

それで編み出したのが、キッチンと居間と寝室の定位置に、それぞれ別の本を置いておき、3冊同時進行の読書をするという苦肉の策だった。実はこれが意外にもうまくいき、当然ながら本の置き忘れはなくなり、そこに行けばすっと開いたページのつづきに入ることができ、なぜか3冊の内容が混乱することもない。

ちなみに今は『ヘブライ文学散歩』母袋夏生 著 未知谷、 『かか』宇佐見りん 著 河出書房新社、 『降りていく生き方』横川和夫 著 太郎次郎社 が、それぞれの定位置で静かに待っている。どの本も年末にふさわしく、奥深いが決して重くはなく、血の通った活字がページを埋めている。 

 


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