書籍:ウエティコ・神の目を見よ

ウエティコ・神の目を見よ
〜Last Hours of Ancient Sunlight〜

著者名 トム・ハートマン
出版社名 太陽出版
定 価 2,400円+税
出版年月日 2001年10月25日
<解説>

心のときめきを大切にしながら生きたいものだといつも思っている。心のときめき、あるいは、直感にしたがって行動すると、人生は生きるというよりも、創作するものだということを実感する。

トム・ハートマンの著書、The Last Hours of Ancient Sunlightとの出会い、そして、日本語に翻訳するというプロセスも、まさに心のときめきに従う中で起こった。『神との対話3』を英文で読んでいたときのことだった。その時は、まだ日本語に翻訳されていなかったと思う。ドナルド・ウオルシュさんに対して、「神」が次の様なことを語る1節がある。「地球上の人間は、今のような生活を続ければ、アトランティスの二の舞になりますよ」と語るのである。それを聞いたウオルシュさんが、「それではどうすればよいのですか」と質問する。すると、「神」は、「その答えはたくさんの人を通してすでに伝えてあります。問題は地球の人たちがそのメッセージに耳を傾けないことです」と、リクエストに応じようとしない。そこをウオルシュさんが粘って、聞き出した本の名前がトム・ハートマンの本書だった。

私はこれを読んで、ぜひ日本の人たちに読んでもらいたい、自分も読みたいと強く思った。著者と直接コンタクトをとったところ、著者のエージェントが長年の友人であることが判明したり、いわゆる“偶然の一致”がいろいろ働いて、太陽出版からこの秋に出版されることになった。ついでに言えば、心のときめきに従ったからといって、すべてがとんとん拍子に行くと言うわけでもない。本書の場合もさまざまな障害があったが、著者のトム・ハートマンをはじめとする関係者の意図の力によってすべてクリアされたのである。

詳しくは、本書を読んでもらうのが一番であるが、私がもっとも心を動かされた部分に焦点をしぼって紹介させていただくこととしたい。

古代太陽光線がなくなろうとしている

本書は3部構成になっていて、第一部は、人間は太陽光線によって作られているという話から始まる。少し引用してみよう。

すべては大陽の光線から始まる。

太陽光線が地球にエネルギーを注ぎ、そのエネルギーは、生命・死・再生の果てしのない周期の中で様々な形に変わる。太陽光線の一部は地中に蓄積され、私たちが引き出すことが可能な膨大なエネルギーの“貯金口座”を私たちに提供してくれた。私たちの文明は全て燃料と電気に依存する大小の限りない機械を作ってきたために、このエネルギーに対する膨大な渇望を作り出してきた。

現在の私たちの生活を見れば、古代太陽光線に依存していることは明らかである。つまり、化石燃料である石油がなければ、私たちの生活は成り立たない。この事実そのものは、多くの人が自覚している。しかし、この依存がどれほどに脆いものであるかについて、どれほどの人が自覚しているだろうか。

石油会社の専門家によれば、地球上の石油の埋蔵量はあと40年はだいじょうぶであるという。しかし、それがいかに信頼できない数字であるかを著者は解明していく。

しかし、代替エネルギーがあるではないかと人は言うかもしれない。フリーエネルギーという可能性もある。しかし、どのような代替エネルギーが開発されようとも、地球環境の破壊はますます深刻になっていくだろう。まもなく、地球は人間が住むこともできないような場所になってしまうだろう。

私たちの文明はひたすらに奪ってきた

エジプト文明、中国文明、ギリシャ文明、メソポタミア文明などは古代文明であるという教育を私たちは受けてきた。したがって、トム・ハートマンがこれらの文明を、“新しい文明”と分類するのを奇異に思うかもしれない。

7千年前のギルガメシュ大王の時代から、新しい文明が始まったと著者は主張する。『ギルガメシュ叙事詩』は現存する最古の書物であるとされるが、この中でギルガメシュ大王が森を守る神を殺し、森林の伐採が始まったという。自然環境の破壊がこうして始まった。

それから、7千年の間、現代文明に至るまで私たちは奪いつづけてきた。奪うという意味は、自然を、他者を自分の利益のために使うということである。その結果何が生じたか。

私は無知にして知らなかった事実を著者は指摘する。私がこのことに関して無知であったということは、自分自身の責任もさることながら、そういう無知をゆるす教育を受けてきたということでもある。それは、ギリシャ・ローマ文明の最盛期にあっては、ギリシャやローマに住んでいた3人のうち一人は奴隷であったという事実である。

この事実は、そういわれて見れば確かにショッキングである。しかし、現代文明においては、奴隷は存在しない、それだけ進歩したと主張する人もいるかもしれない。だが、私たちはそれほど自由だろうか。ひょっとしたら、いわゆる先進国に住む私たちはローン地獄の奴隷かもしれない。

あるいは、地球人口60数億のうち、5分の1強の人は、毎日ひもじい思いで夜寝床につくという事実をどうみるべきだろうか。ニューエージの流行り言葉に、それは確かに真実でもあるが、ワンネスという言葉がある。生きとし生けるものがすべて一つであるという考えだ。人類がすべてひとつであると真に信じるならば、私たちはこの事実とどのように向かい合うべきなのだろうか。

暗い事実ばかり列挙しているようであるが、見たくなくとも、このような現実と共に私たちはいる。どうしてこうなってしまったのだろうか。

トム・ハートマンはそれは、ゲットすることをもって生きがいとするあり方に発しているという。本書の中ではもっと精密な理論が展開されるが、簡単に言うと、ゲットしようとするあり方、競争原理が今日の文化の根底にあると言う。それが、今の世界を作り出した。ではどうすればよいのだろうか。

共存する生き方

このような事実に直面すると、私たちは罪の意識、後ろめたさを感じるものである。日本人の生活形態を地球の人全てが享受するためには、現在の地球の3倍が必要だなどと聞くと、たしかに、うしろめたい思いを抱かざるをえない。

しかし、トム・ハートマンの主張は罪の意識を喚起することにはない。それでは何の違いも生まれないことを知っているからだろう。彼はもっとインスピレーションにつながる発想を披瀝してくれる。

新しい文明の創造が必要だと彼は主張する。新しい文明・文化はどこから始まるだろうか。それは、私たち一人一人の心からである。生きとし生けるもののすべてを仲間としてみるような心のあり方が今、必要である。

競争の原理から、共存の原理へと文化をシフトさせなければならない。本書の中に実に興味深いことが述べられている。オーストラリアの先住民が、イギリスから移住した白人によってさまざまな迫害を受けたことは歴史に明らかであるが、これはその途中で起こったひとつのできごとである。

アボリジニの人々をキリスト教に教化することが使命であるとキリスト教の関係者は信じていた。その信念に基づいて、彼らは善意から、原始人と見なされていたアボリジニの子供たちを強制的に寄宿舎に入れて、文明人にするための教育をした。あるとき、サッカーのゲームを子供たちに教えようとした。二つのチームに分けて、ゲームを行わせた。すると、アボリジニの子供たちは、両チームの得点が同じになるまでゲームを止めようとしなかったという。

このささやかなエピソードは、何を物語っているだろうか。誰が文明人で、誰が原始人だろうか。

新しい文明は、競争と征服によって築かれてきた。それに対して、アボリジニの人々に代表される古い文化は、共存を原則とした生活を営んできた。他者との共存、自然との共存である。トム・ハートマンは原始生活に戻ることを提唱しているわけではない。古い文化の人々が生きてきた共存の原則を、現代において新たに創作しようではないかと語りかけるのである。

聖なる自分を発見する旅

今、地球が変わろうとしている。新しい世界が訪れようとしている。大いなる地理的変化が起ころうとしている。しかし、何が一番大きな変化かといっても、私たち人間の心のあり方の変化の偉大さにまさるものはない。なぜなら、すべての出発点はそこにあるのだから。それでは、どうすればよいのか。どのような心のあり方を探究するべきなのか。

『ウエティコ・神の目を見よ』の中で、トム・ハートマンは読者を実にわくわくするような冒険へといざなってくれる。それは、新しい文明を創造する旅、生きとし生けるものがすべて共存できるような生き方を模索する旅、聖なるものをあらゆるものの中に見る旅、あらゆる瞬間が聖なるものとしての自己を創作する機会であるような旅である。そう、新しい文明をまず自分の心の中に創作する旅である。

<訳者あとがき>

本書が日本語で出版されたという現実は、ひとつの思いから始まった、そして、その思いにコミットして、必要な行動を取ったことによって実現した。そういうことなのです。まずこのことを最初に一つのテーマとして出しておきたいと思います。

本書の中でトム・ハートマンは人間の歴史を7千年前まで遡る旅に出ます。この旅は実に目がくらむような発見の旅です。愕然とするような驚きの旅です。

これまでの学校教育が行ってきた歴史教育が100パーセント見逃してきた展望を見せてくれます。どういう展望でしょうか。

詳しくは本書を読んでもらうことにして、簡単に言うと、私たちが文明であると信じてきたものは、実は、ウエティコ文化(人食いの文化)であったということです。「人食い」とは、ずいぶん物騒な言葉ですが、本書を読むと納得せざるをえません。一例をあげると、ギリシャ文明といえば、人間の歴史の中で燦然と輝く金字塔の一つであると私などは信じていました。確かにそうであるかもしれませんが、ギリシャ文明の最盛期に、ギリシャ市民の3人に1人は奴隷であったという事実は何を物語るのでしょうか。簡単に言うと、過去7千年の地球の文明は、弱肉強食を基盤とする文明だったということです。

しかし、ウエティコ文化よりも古い文化があったと著者は指摘します。それは成熟した文化であって、ウエティコ(人食い)の世界観とは対照的に、共存を旨とする文化です。かつては地球上いたるところに存在したそのような部族は、今では地球に散在する程度になってしまいました。

現代文明は競争を原理とし、古い成熟文化は共存を旨とします。過去7千年にわたって世界を席巻してきたのはどちらの文化でしょうか。残念ながら現代文明、競争の文化、ウエティコ文化です。その結果、部族文化は世界の片隅に追いやられ、息も絶え絶えという息も絶え絶えという状態です。

こうした事実を検証しながら、どのような生き方を選択すべきなのか、本書は探求します。それは、実に心ときめく探究です。なぜ心がときめくかといえば、今苦しんでいる人がたくさんいるからです。現代文明などといいながら、私たちは苦しみの中にいます。行き詰まっています。読者のあなたはどう思いますか。

あなたは生き生きとした人生を楽しんでいますか?
周りの人も生き生きしていますか?
自由ですか?
いつもニコニコしていますか?
笑ってますか?
人を力づける笑いですか?
愛を自由に表現していますか?
愛されていると思っていますか?
仕事を楽しんでいますか?
勉強が楽しいですか?
あなたの人生は冒険ですか?
夜眠りにつくとき、明日が楽しみですか?

このような無邪気な質問に、無邪気にイエスと誰もが答えられるような世界がいつのまにか、私たちの手をすり抜けて,どこかへ行ってしまった、そうは思いませんか。

学級崩壊、家庭崩壊といった言葉が日常語になってしまいました。セックスレスの夫婦のあり方が、あたりまえであるかのように語る文化評論家もいます。母親が子供を折檻し殺す、そんなニュースがそれほど珍しくない今日この頃です。トム・ハートマンがウエティコ(人食い文化)と呼ぶ現代の文明は、確かに私たちを絡め取っているようです。

2001年9月11日のテロ事件は世界中の人々を愕然とさせ、恐怖の波動の中へと叩き込みました。この事件で生命を落とされた方々、家族の方々に対しては、心から哀悼の意を表するものです。

同時に、この事件は大いなるウエークアップコールでもありました。私たちが享受している現代文明を、あのような形で粉砕してみせることによって、私たちに再考を迫ったとはいえないでしょうか。私たちの価値観についての再考です。

あなたの人生で何が一番大切ですか?
他人と競争して勝つことですか?
他人よりも高い地位に就くことですか?
お金がもっと欲しいですか?
家族は何のためにあるのですか?
ホームレスの人もまたあなたの兄弟の一人だと思いませんか?
地球の裏側で飢えている人はあなたとは関係ないのですか?
子供が泣いていたらただうるさいと思うあなたですか?
人間が生きるためには自然を犠牲にしても良いのですか?
人間が一番偉い生き物だと思いますか?

ニューヨークでのテロ事件で家族を亡くした方がABC放送の記者にインタビューを受けていました。その質問は、「今テレビを見ている人たちに一番伝えたいメッセージは何ですか?」でした。その方は、泣きながらこう答えていました。 「あなたが愛している人たち、あなたの家族や友達に、毎日、あなたの愛を伝えてください。今、あなたが持っているもの、どんなにささやかなものであってもそれがあなたにあるということに感謝してください」

私はこの言葉の中に人類の未来があると思いました。愛と感謝の思い、それが一番大切であると、この方は言われたのです。

思い出す必要があります。「思い出す」とは、“思いを出す”ことです。つまり、答えを外に求めるのではなく、自らの中から思いを出すことによって、自分が変わり,周りが変わり、社会が変わり、世界が変わります。この世界を変える力を持っているのはあなたであり、私です。

考えてみれば、ウエティコの文化を創った原動力も思いでした。破壊も創造も、出発点はひとしく思いに発しています。思いを抱くということはビジョンを持つということです。そして、そのビジョンにコミットします。コミットすると、自然に行動が生まれます。そして、実現!これが人生の冒険です。

今から24年前に、世界の飢餓を終わらせようという思いを出した人たちがいました。ジョン・デンバーとワーナー・エアハードという人です。飢えている人をかわいそうな人と見るのではなく、この人生を生きるパートナーとしてみるところからこのプロジェクトは始まりました。飢えている人は犠牲者ではなく、勇敢な仲間です。飢餓の終焉、これがビジョンです。あとは、そのビジョンにコミットすることです。無邪気に、一人の人間として、飢餓に対して清算責任をとる、そこから、ハンガー・プロジェクトが始まったのです。 私と妻のジャネットはこの46年間、ハンガープロジェクトにボランティアとしてかかわってきました。このプロジェクトを通して学んだことはたくさんありますが、その最たるものは、思いの力です。考えの力といっても良いかもしれません。というのは、ハンガー・プロジェクトが登場するまで、世界には「飢餓の終焉」という概念は存在しなかったのです。飢餓はしかたがないものだ、飢えている人は怠け者だから飢えているに違いない、でも、かわいそうだから少しぐらいのお金なら出してあげよう、これが世間一般の考えだったのです。 「飢餓を終わらせる」と宣言したとき、ハンガー・プロジェクトは最初相手にしてもらえなかったのです。それは、あまりにも壮大すぎる夢物語に思われたのです。しかし、24年後の今、ハンガー・プロジェクトは世界中に根をおろしています。助けるのではなく、仲間として、自助のサポートをする中で、世界的なネットワークが生まれているのです。出発点は、一つの思い、考えだったことを忘れないでください。

トム・ハートマンは本書の中で、文化の見直しを提案しています。これもまた、壮大なビジョンです。「文化の見直し」もひとつの思いです。もっと具体的な言い方をすれば、私はどんな人間になりたいのだろう、どんな人生を創作したいのだろうと問いかけてみることです。それは、「思いを出すこと」から始まります。あなたの中に、その思いはあります。この本もトム・ハートマンさんが本を書くという思いを抱き、私が翻訳したいという思いを出したことで実現しました。

ビジョンを出してください。自由に遊んでみましょう。
皆が愛されている世界
間違いを犯してもやり直しがきく社会
競争の代わりに協力し合う社会
ゆるしが人間関係の基盤になっている社会
どんな夢にも挑戦できる社会
毎日が楽しい冒険のような人生
飢えている人のいない社会
仕事が楽しい人生
生きてることが楽しくてしょうがない人生
美しい音楽に囲まれた人生
自然が尊重される社会
だれもが自由に生きられる社会
人種の壁など存在しない社会
様々な考えが共存できる社会
愛する家族がいる人生
小さなことで人を裁いたりしない社会
大きなことでも人を裁いたりしない社会
人に親切にするのがあたりまえの社会
誰もが大切にされる社会
誰もがスポーツを楽しめる社会
皆が健康な社会
神聖なものを大切にする社会
男と女が尊敬しあう社会
大人が子供を尊敬する社会
子供が大人を尊敬する社会

ビジョンは無限にありますね。ということは、無限に創作のゲームができるということ。そして、無限の創作のゲームは思いから始まります。思いがすべてです。そして、何を思うか、それはまったくあなたの自由です。読者のあなたが、心ときめく思いを出され、コミットしてその思いを実現されんことを祈っています。

最後になりましたが、この本を翻訳出版するにあたっては様々な方々に助けていただきました。出版を快く引き受けてくださった太陽出版の籠宮良治社長、いつも笑顔で励ましてくれた編集者の片田雅子さん、ご教示いただいた帝京大学の飽本先生、玉川大学の秋山紀一先生、朝日由起子先生、常にサポートしてくれるパートナーのジャネット、著者のトム・ハートマン、いつもインスピレーションを与えて力づけてくれるホワイト・ローズの方々、そして、この本を手に取ってくださっている読者のあなた、この場を借りて、心から感謝申し上げます。

2001年10月8日 山中湖にて
大内 博
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