<Diamondo>

数ある宝石の中で最も硬く、光の屈折率が高いのがダイヤモンド。 古くは「アマダス」(「征服されざる」石というギリシャ語)と呼ばれ、不屈の精神の象徴として、兵士の護符とされた。

ダイヤモンドストーリー

「智者同士の戦い」という西洋の諺は「ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド」ダイヤモンドはダイヤモンドでカットするという言葉から生まれたものです。
つまり、比類稀な硬さをもつダイヤモンドは同じダイヤモンドでなければカットすることができないということです。

三年以上も前、占星術とともにはじまった誕生石リストは旧約聖書から新約聖書へと受け継がれていきました。
当時のダイヤモンドに関する表現の中には特性である「硬さ」の利用のみで、「美しさ」の記述はありませんでした。
勿論誕生石のリストと思われるものの中にも記されていません。
ダイヤモンドの美しさは14世紀、ルネッサンス期の自然科学の発達とともに生まれました。
この時期になって初めてダイヤモンドをカットする技術が考え出されたのです。
それ以前は「ダイヤモンドはダイヤモンドでしかカットできない」ということに気づかず、単に硬い石にすぎませんでした。

コー・イ・ヌール
「光の山」と呼ばれるこのダイヤの名が初めて世に出たのは1304年のこと。
かつてはインドの王子シャー・ジャハンの王冠だったとも、玉座にデザインされていた孔雀の目だったともいわれる。
モーグル王朝に1703年まで所有されていたが、戦利品としてペルシャ王の手に渡ることとなった。
コー・イ・ヌールという名はこのときつけられた。
やがて1850年に西インド会社のものになり、ヴィクトリア女王への献上品に。現在は英国王室のコレクションのひとつ。

ユーリカ
ギリシャ語で「われ発見せり」という意味。
公式記録の中で初めて、南アフリカで発見された記念すべきダイヤ。
1866年エラスムス・ヤコブスという少年がオレンジ川で拾って、玩具にしていたのを後にダイヤと認定。

ブルー・ホープ
インドで9世紀ごろ掘り出されたという、珍しく青く光るダイヤ。
17世紀になってルイ14世に献上され、「フランスの青」と呼ばれた。
ところがブルボン王朝は次々と不幸に襲われ、フランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されてしまう。
その後、行方不明になったが1800年には再び世に出るも、かかわった人間の不幸は続く。
名付け親のロンドンの銀行家ヘンリー・ホープも破産。
ワシントンポストの社主マクリーン一族も怪死続き。
多くの人々の手に渡った45.52ctのこのダイヤは、1849年ハリー・ウィンストンのもとへ渡り、不幸の歴史を閉じた。
なぜなら彼はこれを身につけず、スミソニアン博物館に寄贈したからである。

カリナン
1905年に南アフリカのプルミエ鉱山で発見されたとき、3106ctという世界最大の原石だった。
鉱山の持ち主トーマス・カリナン卿の名が冠されたが、南アフリカのトランスヴァール政府が15万ポンドで購入し、 エドワード7世の誕生日に贈られることとなった。
原石を送られた英国王室は、アムステルダムの職人アッシュに依頼、8ヶ月をかけて9個の大きなものと、 96個の小さなものにカットさせた。
最大のものは530.2ctエドワード7世の権杖になり、「アフリカの星」と呼ばれている。