☆ 樋口範子のモノローグ(2023年版) ☆

更新日: 2023年2月1日  
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範子の著作紹介

<2022年版>

2023年2月

              
 ここに居ない人たち

 4年前の秋、イスラエルの旧友ローニーが二週間の予定で来日し、我が家にも寄ってくれた。ともに18歳で知り合ったから、かれこれ半世紀以上の付き合いになる。

 我が家のベランダで、彼女は手のひらに載せたヒマワリの種をヤマガラがついばみにくるのをスマホで撮影しては、自国の息子家族や友人たちに同時中継する。「ほらね、今はノリコの家のベランダで、こうして野鳥を寄せて最高の気分よ」、すると7時間の時差がある現地から続々と返信があるらしく、わたしにもお声がかかる。「あなたもみんなに何かメッセージがあるでしょう?」

 その後も、湖で白鳥が近づいてきたとか、鯉にエサをやったとか、何かある毎にメールを打っては滞日体験を伝えつづけた、それが彼女の旅だったように思える。たしかに、思いがけない多次元中継のだいご味はあった。でも、今ここに居るローニーの頭の中も多次元で、一局集中ではないのが、わたしにはとても奇異に感じられた。ローニーはここに居るように見えたが、ここには居なかった。

 携帯機器が流行し始めのころ、例えば数人で輪になって話し合いの最中、それぞれにかかってくる電話の呼び出し音に、一人二人と立って室外に出ていき、もどってはまだ出ていき、話し合いにならなかったことが多々あった。携帯機器不携帯のわたしは、終始ベンチを温めていた。そのうち、マナーモードという機能も普及して、話し合いはなんとか維持できるようになったが、昨今はラインなどの着信音で、一応は顔を向けて対座はしているが、頭の中はその着信音に反応して、アンテナがよそに向いていることが増えた。中には、そっとテーブルの下で、無言で着信を確認する人もいて、相も変わらず携帯機器不携帯の者は、おかしな気もちになる。みんなの体はここにあるのに、身体は別にあって、ほとんどの人がここに居ない、なんてことだ。みんなの居場所はどこ?

 電車やバスの中ではひとりの世界なので、スマホや読書に気をとられて本人がそこに居ないのは受け入れられる。大の読書好きの親戚の小学生が、読書中に母親から声をかけられた時、「待って、今はこっちにいるから」と名言をはいたのを聞き、たしかに本の世界に没頭する者が、そっちやあっちの世界にもどるにはしばしの時間がかかる、そう思う。

 皮肉なことに、〈共有する〉〈共感する〉が、日常において簡単に時空を超えても成り立つ時代になった。今という瞬間の大きさが、個人の中でどんどん小さくなる。では、いったい何が今で? 何が現実で? どれが生身なのか? その手触りや気配を感知する身体が、日ごとに取り残されていくのを感じる。

 


2023年1月

              
もうひとつの旅

たしか6年前の12月だったか、富士山駅から岐阜県の高山駅への直行バスが新設開通したというニュースを耳にしたわたしたちは、二泊三日で出かけることにした。富士山麓から飛騨高山への5時間の直行バスという、実に画期的な路線に反して、乗客はドイツ人バックパッカー2人とわたしたちの計4人だけだった。

9時に出発して、松本駅での乗り換えもなく、休憩一回で実にスムーズに午後2時に高山駅に着き、格安のゲストハウスにバックパックを置いたわたしたちは、街中にくり出した。それまで、長野県の上高地や乗鞍までは仲間と来ていたが、岐阜県への県境を越えたのは初めてだった。高山の街を歩く観光客の半分以上は外国人で、街の飲食店や土産物店、酒蔵などは大賑わいで活気があった。当然ヘブライ語も耳に入ってきて、彼らの旅気分にこちらの旅までもが楽しくなった。ゲストハウスの掲示板に、白川郷への一日バスツアー案内があったので、すぐに翌日参加を申し込んだ。

 翌朝、決められた時間に駅前の集合場所に行くと、欧米人、中国人、日本人の観光客がほぼ同数いて、観光バスに乗り込んだ乗客は、若い女性ガイドに笑顔で迎えられた。香港出身のベンネルさんは、英語、中国語、日本語のトライリンガル・ガイドで、車窓からの光景や地元の文化などを毎回3か国語で順番に説明してくれた。ほぼ同じ個所で笑い声が上がるあたり、絶妙な訳なのだと頬がゆるんだ。

合掌造り集落を上から一望できるビューポイントで、ベンネルさんが誇らしげに家々の景観を解説するのを、だれもが聞き逃しまいと耳をそばだて、にわかに知り合った乗客同士で写真を撮り合ったりもした。自分が日本人でありながら、この日本の古い街並みを外国人にガイドしてもらっていることは、実はとても奇異な状況かもしれないのだが、全く違和感なくすっと溶け込めた。国籍とか、言語とか文化に、〈自分の〉という所有意識がないのは、これこそグローバルというのか、とても自由で乙な旅気分だった。

江戸末期から明治、大正を経て国の指定重要文化財になった和田家や、250年間もつづく5階建ての長瀬家、黒色火薬の原料である焔硝づくりを密かに代々の生業としていた合掌造りの家々を回った。富士山麓とは景観も文化も異なる狭い一角は、テーマパーク化した集落と言えるかもしれないし、ふすま一枚で観光客と同居する生活者の息苦しさを気の毒だと思ったりもした。モロッコのアトラス山脈の中ほどにあるアイト・ベン・ハドゥという、映画「アラビアのロレンス」のロケ地であり、世界中の観光客が家の中まで足を踏み入れる集落に似た印象があった。

 白川郷を後にしたベンネルさんは、「どの家の造りがよかったですか?」などと乗客に質問したり、「この地域では漬物ステーキという一品をぜひともご笑味ください」とおすすめの飲食店情報までガイドして、乗客とのさりげない交流も忘れなかった。

 バスツアー後の夕暮れの街角で、ばったりベンネルさんに再会した。「漬物ステーキを体験しましたよ」と声をかけると、「ああ、それはよかった。いい思い出になりましたね」と返答された。白菜漬けをソテーしただけの漬物ステーキは、インバウンド客を迎える高山ならではの味だった。あの日以来、わたしの頭にあった飛騨高山から〈日本〉という枕詞が外れた気がする。

 自分の日常から非日常の旅に出て、そこで他の文化に暮らす人々の思わぬ日常に出会うのが、旅のだいご味だといつも思う。

 ところが、飛騨高山への旅は、自分の日常からそのままベンネルさんと観光集落の非日常に直行して、地元で暮らす人々の日常を全く垣間見ることのない、稀な旅だった。しかし、帰宅してみると、自分の日常だと思い込んでいた文化や言語が、そのまま何の境を越えることなく、当たり前のように広く水平に移行認識できたことに、我ながら驚きもした。

帰りの直行バスでは、スカーフをかぶったインドネシアの可愛らしい女学生2人とわたしたちの計4人だけで、結局その路線は半年後に廃線になってしまった。「ほんとうに直行5時間で飛騨高山に行けたの?」今では、だれもが半信半疑の顔できく。ほんとうだった・・・かな、最近は自分でも怪しくなった。 


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