| ☆ 樋口範子のモノローグ(2026年版) ☆ |
更新日: 2026年2月1日
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範子の著作紹介
| <2025年版> |
| 2026年2月 |
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世の中の風
年明けの1月16日(金)、浦和市に時間設定の用事があり、夫と二人で早々に出発した。ところが朝8時過ぎに京浜東北線と湘南新宿ラインに停電トラブルが起こったらしく、渋谷駅に着いた途端、都会の通勤混乱に巻き込まれてしまった。路線図にも疎い自分たちは、何が何だかよくわからないまま、とにかく池袋から先に進むべく電車に乗った。乗ってすぐに優先席が空き、どうにか座れて、安堵感にやれやれと一息ついた。ところが、目の前の優先席に腰を下ろしたばかりの、おそらくわたしより歳上だと思われる婦人がさっと席を立ち、車両の中央に移動した。??せっかく座ったのに?? 彼女が咄嗟に席を譲った相手は、片腕にギブスをつけ、その腕を首からの包帯で吊った若い男性だった。座席に座るどころか、高齢者意識にすっかりアグラをかいた自分が恥ずかしかった。・・・
やがて、速度を落とした新宿ラインは途中駅までしか行かず、わたしたちは乗り継ぎをして目的地の浦和駅に着き、予定時刻より少し早かったので構内のカフェで、しばしの休憩をすることにした。ところが、どこのカフェも時間調整の乗客で満席、だれもが手元のスマホを睨んでいる。仕方なく、駅の外に出て、日当たりのよいビルの合間のベンチに腰を降ろして、一息ついた。真冬の午前中、戸外のベンチにゆっくり腰を降ろすなど、富士山麓では考えられないので、思いがけない陽にあたって、しばし体が伸びた。
9年前の2017年、やはり真冬の1月、わたしたちはウズベキスタンのフェルガナからリシタンへの2週間の旅を終え、タシケント空港から韓国のインチョン空港経由で成田に帰国予定だった。ところが航空路線トラブルで、タシケント空港内で足止めになった。空港内アナウンスがウズベク語とロシア語と韓国語なので、どれも全くわからず、ただ乗客の流れが滞っている様子に戸惑い、まずはベンチを確保した。アナウンスに従って動き出す乗客の動きを真似て、立ったり、座ったりを繰り返し、たまたまそばに立つ日本語のわかるウズベク人学生の助言で、数時間後にやっと搭乗口に進むことができた。幸い飛行機は離陸して、8時間後にはインチョン空港に着陸したが、成田行きの乗り継ぎ便には間に合わなかった。大韓航空から、ウオンのお詫び飲食券をもらって、空港内の出店で温かい麺をすすった記憶がある。「あんなこともあったよね」などと浦和駅舎外のベンチで話をしながら立ち上がり、目的地に向かった。
二時間後、無事に用事を済ませて、高速バス出発の新宿までの帰路となったが、昼食どころか、のっけから新宿方面の電車が未だに不通とのことで慌てた。登った階段をまた降りたりして、(エスカレーターもエレベーターも休止)今回は日本語アナウンスに誘導された。十条駅での折り返し運転を条件に、まずは赤羽駅までノロノロ運転で到着でき、そこで全員が降りることになった。案の定、ホームには乗客があふれ、数か国語が入り混じり、それでもだれもが落ち着いて事態の好転を待っていた。日本語アナウンスを理解できない外国人乗客は、どうやって事情を把握しているのか? SNSで把握できるのだろうか? などと案じる中で、一番怖かったのは、ホームドアのない赤羽駅で、もしここで、だれかが押したら大勢が線路に落ちてしまう、という危機感だった。そこに電車が入ってきたら、逃げられない。そうした不可抗力の流れが怖かったので、じっと足を踏ん張っていた。やがて、ほぼ満員の電車がホームに滑り込み、でも乗るしかない、と意を決して乗り込んだ、まさに60数年前の、あの通学ラッシュと同じで、体と体が隙間なくくっついて、自分の足はどこに行ったのか? というとんでもない状況になった。でも、電車はどうやら新宿までは行くらしい。荷物は少ないし、水も携帯しているし、後は天に任せるしかない。
ふと、前に立つ若い女性が、彼女の身に着けたレザージャケットの裾をつかんで、わたしに何か言った。えっ? 何? どうやら、この裾をつかんでくださいと、助け舟を出してくれている、なんてこと! さっそくお礼を述べて、彼女のジャケットの裾につかまらせてもらった。夫もその様子を見ていた。彼女が下車する池袋駅まで、わたしはずっと温かい気もちでいられた。都会も、まだ捨てたもんじゃない!
やがて新宿駅に着き、無事に高速バスに乗ることができた。安堵したバスの車窓から、発生からすでに一週間以上も経つ、大月、猿橋付近の山火事の煙が立ち昇るのを目にした。すぐ近くに、民家の屋根がいくつも、じっと空を見上げていた。
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| 2026年1月 |
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2025年の読書ノートより 2025年の読書数は例年より少なかったが、主に夏季のベランダのハンモックにて120冊くらいを読むことができた。人はハンモックに身体を委ねる時、頭部の重さから解放されることで、活字が活きたまま身体に直球で投げられる至福を味わう。 読書がらみでもうひとつ、中高の同期会夏合宿のくじ引きでツイン同室になったK子さんと、二晩つづけて思いがけない読書談義ができ、それはそれは楽しかった。中高時代は互いに疎遠で、関心分野も縁遠かったが、卒業58年目にしてこんなにも距離が縮まるとは! それも、二人そろって偏向読書と言いながらも合点回数が多発して、眠るのが惜しいほどだった。 さて、2025年、個人的に唸らせてもらった数冊を挙げてみたい。 ☆小説 ・『夏物語』川上未映子著 文藝春秋 2020年 同作家の芥川賞受賞作品『乳と卵』の登場人物が、それから8年後に織りなす続編物語。同じ姓をもつ別の作家さんの本と間違えて借りてしまったが、まさに怪我の功名とはこういうことか。以来、図書館のカ行書架では、この著者名を必ず確認するようになった。才色兼備の上に、歌手でもある川上未映子さんの内面の淀みが眩しい。 ・『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬・著 早川書房 2021年 ・『歌われなかった海賊へ』逢坂冬馬・著 早川書房 2023年 奈倉有里さん(ロシア文学者・翻訳家)の実弟であるとはいえ、驚くべき若冠30代の作家さん。独ソ戦をめぐる物語は史実に沿い、夢中でページをめくるうちに、戦争の真っ只中で個人としての人間はどう行動して、どう変わっていくのか? に重く対峙させられた。 ☆評論集 ・『日本語が亡びるとき』水村美苗・著 筑摩書房 2008年 欧米と日本の両大地に、その都度しっかりと軸足を置くこの大作家さん。『大使とその妻』などの長編小説も素晴らしいが、当評論で言語、翻訳についての多くを学ぶことができ、今後も手放せない一冊となった。 ☆ノンフィクション ・『極北の動物誌』ウィリアム・ブルーイット・著 岩本正恵・訳 新潮社 2002年 ヤマケイ文庫 2022年 アメリカの核実験場開発計画を環境調査によって阻止し、そのためアメリカを追われることになった動物学者による大ドキュメント。1967年に刊行され、星野道夫氏は「アラスカの自然を詩のように書き上げた名作」と評した。50歳で他界された名翻訳家の岩本正恵さんの訳出中の姿が、タイガの森に見え隠れする。 ・『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』川内有緒・著 集英社 2022年 この女性ノンフィクション作家は、優れた感性と筆力に恵まれ、さらに長距離と長時間をいとわない旅人でもある。『バウルを探して』幻冬舎 2013年 に圧倒され、もし自分が20歳若かったら、彼女のバックパックにもぐりこんででも旅に同行させてもらいたいと懇願したにちがいない。 ☆評伝 ・『匿名への情熱』楠田實評伝 和田純・著 吉田書店 2025年 ・『鶴見俊輔伝』 黒川創・著 新潮社 2018年 側近として多くの時間を身近で接し、長年の資料精査をもって書かれたこの2冊には、無私の思い入れを感じてやまない。なぜ「この人物」の評伝を書くことになったのか? を決して説明しきれないだろう著者たちの熱量が、わたしのような政治に疎い読者をも惹きつける。 ☆グラフィック・ノベル ・『あと2時間で新年です』ファルハード・ハサンザーデ文 愛甲恵子訳 トップスタジオHR 2025 年 イランの絵本として刊行されているが、時(とき)と時間を行き来する太陰暦による哲学が、羨ましいほど人々の暮らしに根づいているグラフィック・ノベル。ところどころに広がる見開きの一枚絵、現代ペルシャの雨降る街がいとおしい。 2026年も、多くの本に出合いたい! |