探偵項目 第三回活動<自然観察の視点と描写(山麓の山野草編)>
担当団長 木村 修 氏 (自然細密画家、ガラリエ オム・オーナー、山中湖在住)
活動日 平成12年5月20日(土曜日)[天気 : 雨]
活動時間 午前8時から午後6時まで
参加人数 ミニレクチャー : 20名(ミニレクのみ1名)
実地踏査 : 22名(探査のみ2名)
参加者構成内訳 男性8名、女性14名
20代(男0、女3)・30代(男2、女2)・40代(男3、女2)・50代(男3、女6)
60代(男0、女1)
参加地内訳:他県 東京:7名 神奈川:2名 静岡:2名 (計11名)
〃 : 県内 (11名) 甲府:2名 鳴沢:1名 石和:1名 山中湖 : 6名

<活動記録>

自然観察というと、普通「○○図鑑」などを片手に、花の名前や図鑑の写真と見比べるというのが通例である。
今回の活動は、そういった”観察の回路”をなるべく断ち、対象そのものを絵に描いてみようとういのが目的。それには「草花の名前」はさておいて、花や葉の形、色など、細部の観察が肝心。

今回の担当団長は、自然細密画家木村修さん。

木村さんは、多数の動物や植物図鑑の細密画を手がけており、今回の目的にうってつけの団長である。
「そこにナゼその花が咲いているのか?」「その草花と他の植物や昆虫などの生き物と、どのように関っているか?」などの、植物生態や自然界の仕組みを学び、木村団長の”細密画の原画”を見せていただきながら、描き方のポイントをレクチャーしていただいた。

その後、山中湖と富士山が一望できる草原に出かけた。あいにくの雨空だったが、2時間にわたるフィールド観察は、山野草の棲息空間を十分に感じとることができた。

場所を変えてのスケッチは、写生と違ってルーペや定規などを使い、皆真剣に描いている。なかには、ルーペでスミレの花の中をのぞきながら 「アッ、虫になったみたい!」 と叫んでいる団員もいた。
自然界の色をどのように写しとるかには、木村団長の「色の作り方」の手ほどきに唯唸るだけ。

2時間があっという間に過ぎ、団長も掛け値なしで誉める”観察スケッチ画”が揃った。
まさに、”描けてしまった”という感じで、この企画が驚く結果を生んだことに感謝している。

スケッチブックの紙質や絵筆の選択などの点で、多少課題が残った。
でも、これから庭先や道端の草花に対して、今までと違った接し方ができることだろう。

団員の感想や作品の一部は「団員レポート」に掲載しているので、ご覧ください。 (世話人)

朝食をとりながら、「自然細密画家」木村修さんのレクチャー。

植物は動物以前から地球に生存していた。
植物は、大地や空気中の養分、日光などにより生長し、やがて花を咲かせ実をならす。いわば生産者。動物はそれをいただいて生存する消費者。しかしいずれも大地に還える。それを分解する土壌の微生物。
生産、消費、媒介の循環が大自然の営みとして、ダイナミックに行われている。その中でそれぞれが精一杯の生存と種族保全の工夫と競争・共棲が繰り返されていることを学ぶ。
雨の中のフィールド観察。

山野草も雨に打たれ、山麓の枯れ草の中に可憐に咲き始めている。

「発見した草花の姿をジーっと観察し、その棲息環境と空間を一緒に観察すること」を指導する木村団長(左)と傘をさしながらも真剣に聞き入り見入る団員。
葉の上に緑の仁丹を4、5粒のせたような風情をしているハナイカダ。
この粒が花になるとき、筏(イカダ)に喩えた葉の上に花がのり、正に「花筏」。
見事なネーミングである。
林を散策していてこの時期よく出会うのがこれ「マムシ草」
茎の形と色がマムシの胴体にソックリ。しかも鎌首をもたげ、舌をペロペロと出しているような不気味な形相の花。今まではあまりそばに近づかなかった。
この花も、秋になると真っ赤な実を手榴弾のような形につけ、林の中にひときわ存在感のある姿となる。
雄花は下部に穴が空いていて、昆虫が通り抜けることができるのだそうだ。勿論その間に昆虫は花粉を体に付ける。そして、雌花に運び、雌花には穴が無い。虫は出ることができなくなる。そういう種類があるそうだ。
野山にたくさん咲いているのがこれ「タチツボスミレ」

5センチくらいの草丈に1センチほどの可愛い花が咲いている。
うす紫の花弁のうち、下の花弁には白と黒の縞模様がある。
これは、昆虫が蜜を求めて飛んできたとき、「ここに蜜が有りますよ」という案内標識の役目をするのだそうだ。ルーペで花の中をのぞくと、滴のように光っている蜜を確認することができた。
これは、すっかり少なくなった「スミレ」。今や貴重種となった。
上の「タチツボスミレ」と比べて分かるように、葉の形が明らかに異なる。
そして、花の色も濃い紫色をしている。

「スミレ」の名称は、大工さんの「墨つぼ」「墨入れ」から、その形が似ているところから「命名」されたのだそうだ。



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